昨日、祖父が亡くなった。
私が関東に遊びに行った翌日、月曜日に緊急入院してほぼ一週間で旅立った。
86歳、十分と言えるほど長生きだと思う。
二年ほど前から肺が繊維状に変化する病気に罹り、常に酸素ボンベから伸びた管を鼻へ伸ばし仕事をしていた。
十数年前、胃がんに罹り、余命宣告を受け、三途の川から泳いで帰ってきた。
五、六年前、階段から頭から落ち脳に拳台の血腫ができて余命宣告を受けたが、三途の川から泳いで帰ってきた。
正直、今も全く実感はない。
入院から二日目の時点で苦痛を和らげる薬を注射し、以降意識を取り戻すことはないとのことだった。
緩やかに、死に向かう体となっていた。
最期の会話は「周りにそんなにいられると迷惑だから帰れ〜!」だった。
喋るたびに咳をしていて実際苦しそうだったね。
その日の朝も仕事の電話をしていて、あれをしろこれをしろ。最期の指令は「六月のお菓子は無理そうだから断ってくれ」だった。
本当に我が家の大黒柱であった。
無理させすぎた、なんていうけど無理をするのが好きな人でもあったんだよね。
祖父と病室で話す時、祖父の目尻には涙が浮かんでいた。あの人が泣いてるところは見たことがない。
ただただ、ショックだった。
以降の一週間は、いつ病院から呼ばれるかわからない、余命は幾許もないと家族みんな緊張していたし、みんなどこか安らかになってほしいと思ってしまっていたと思う。
実際、病室の中で酸素供給のため大口を開けながらマスクに繋がれている祖父の姿。むくみ続ける指先をみるのは、本当に辛かった。
連日、午前中は母の姉妹が、午後は母が、夜の間は祖母が……と病室で一人にしないようにと、絶え間なくお見舞いに家族が向かっていた。
その日は、朝から安定していた。
自己呼吸をするようになったとすら言われて奇跡すら感じたほどだ。
夜二十一時過ぎ。病室にいた母が一度帰宅した直後に病院からの電話。
「脈が測れなくなっています。」
急いで皆で準備をし病院へ。
母を乗せた車を病院入り口のロータリーへ一度停めて先に行かせた。
後から、追いかけるように病室へ向かうと、ナースさんが私の顔を見るなり駆け寄ってきた。
嫌な予感はした。
部屋に入ると泣き崩れる母の姿。
すっかりと白くなった祖父の肌。
遅かった、母を死に目に遭わせられなかったのだ。
ごめん、ごめん、と謝る母を宥めて、続々と家族が駆けつける。
以降は怒涛だ。何も覚えていない。
気がつけば深夜三時、葬儀屋さんとの打ち合わせが終わったところだ。
こんなに急なのか。こんなに世界って動くんだとか思ってしまうな。
祖父との思い出は数え切れないが、幼い頃に父がいなくなった私にとっては頼れる大人の男は祖父のみだった。
私が不登校になった時に釣り堀に連れて行ってくれた。
お互いに釣果はゼロ、お情けでもらったニジマスを覚えている。
祖父が携帯を買い替えた時に、YouTubeの設定をしていた。トップにはどエロいショートの画面。
「見なかったようにしよう」
そう思った矢先、
「このエロい姉ちゃんはどう見るんだ?」
おじいちゃん、面白い。
祖父は5人兄弟の真ん中。中学の時に実家を火事で無くして以降、一人で今日まで我が家の家業を支えてくれた。底値なしに尊敬できる。しかも晩年までエロいshortに興味アリ。
明日も仕事はある。後2時間後に赤飯を炊く。
配達をする、お寺さんに電話をする、通夜の準備もする。
一つ一つこなして忙殺されていくうちに悲しみを乗り越えていくんだろうなと思う。
本当に実感が湧かない。横たわる祖父の顔は、もう起きないにしろ、そのままだ。
まだ生きている気がする。病室に繋がれていた頃より生き生きしている。
私にとって記憶があるうちの最も身近な人の死だ。
鮮烈であり、とにかく、苦しいな。
生きているだけで儲けもんだね。
