煮詰まってない鍋の上

日記を続けてくれ、おれ。たのむ。

深夜って感情が破壊されがち

私は絵を描くことが趣味だ。というか学生時代にお金が掛からず自分一人だけで出来る趣味が絵を描くことしかなかったのが響いて今もまだ習慣的に絵を描いているだけだ。

正直時間はかかるし金銭は発生しないし筋肉みたいに目に見えて何か増えていくわけではないから無駄なことだなと思う。唯一、得だと思えることはSNS上での評価だけで、今では匿名のハートでしか自己を肯定できなくなっている、気がする。気がするというのはSNS断ちをこれまでそんなにしてこなかったからインターネットのない自分を想像できないから。

案外健全になるかもな。

 

私は今のところ承認欲求をエネルギーに絵を描いている。他人から評価されることが原動力。

 

さて、絵にはあきらかに絵柄とか個人の価値観好き嫌いじゃ説明できない腕前があって、私は自分でめちゃくちゃ絵が下手だなとジャッジを下している。ライティング構図視線誘導何一つ人様に見せられるものではない。

 

この絵が下手という感情と止めどない承認欲求がミックスソフトの形でケツから放り出されるとクッセェクッセェ他人への嫉妬心に生まれ変わることがある。

自分より絵を描いている歴が短かった人の絵が化け物みたいに上手いと、正直かなりしんどい。上手いって思うということは絵柄は好きなはずなのに急に顔も声も人格も知らない美少女アイコンの140字が疎ましく思えてしまう。愚かだね。

 

さて、ここでちょっと(ずっと)自己矛盾。

自分の絵は下手だと言っているくせに、他人の絵が上手いことに嫉妬するのは何故なのだろう。

絵が下手だと認めているのなら他人の絵の方が優れているというのは当たり前のことで嫉妬心すら湧かないはずだ。それなのに自分と他人のフォロワーの伸びを一日3回以上確認するような嫉妬嫉妬のしっとりボーイなのは何故なんだろうな。

自分の絵が優れている、周りの評価が見合っていないと心の中で思っているからだろうか。いや、そんなはずはない。私の絵と他人の描いた絵を見比べてどちらが好ましいかと100人に聞いたら100人が他人の描いた絵を評価するだろう。

いや、この考えは良くない。

これはもはや自分の醜さ卑劣さ愚かしさ堕落しきった肥溜めのカス擬のような自尊心が自我を卑下することで「自分は自分がダメなことをわかっている、理解者側だ」と人間として立派に自分を見せようとしているのではないだろうか。

透けてる透けてるよ、自分ヨシヨシして欲しいんですねって感情が透けてる。メンタルの赤ちゃんプレイなら飲み街の路地裏で諭吉四枚でやってきてくれ。

ハッキリと「僕は自分の絵がもっと評価されるべきで他人のことを見下して生きています」と告白すればこんな嫌らしさもなかったのにね〜、ね〜。いや、人として最悪すぎる。

 

ともかく、より健全な人間になるために絵をちゃんと考えて描くことが大事だと思うのだがこれがまたワガママ肥溜めポイント。

努力をしたくない!正しくは努力をしたという達成感周りからの評価自己のスキルアップを体感したいがその過程はスキップしたい。スキップしたいわけでもないな、達成感が薄れそうだし。

だから、みんなが私と同じくらい何も頑張らなくなってくれたら幸せだろうな、動きたくねえ布団に根を張りたい。秋にはおっきい柿を生らすからよ、アスファルトに落ちてグズグスのきったねえ茶色に変色しような。

 

夜は深夜四時、眠くなってきて頭がふわふわしてきた。悩みを愚痴ろうと思ったらこの時間は眠すぎて文脈がめちゃくちゃになってしまう。

むにゃむにゃ。

 

三つ子の魂百までとあるが、幼い頃の行いは大人になっても私の根底に染み付いているな、と。幼い頃に見えないボスキャラと戦っていた私は、今では見えない自分の自尊心と戦って日々負け惜しみを吐き連ねている。

本当はもう少し頑張れるんだぞ、不機嫌にならなければ。